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Archive for the 'ひとりごと' Category

治療同盟という言葉を下の本で知った。正確な意味は分かりませんが、文字通り患者が医師、家族などとタッグを組んで治療に取り組むと言うことだと思っています。
私はこのブログのタイトルに「ピアサポート」とつけましたが、もう一歩進んで同病者との交流という「同盟」が自分には必要なのかなと思うようになりました。
かねがね、社会生活とのバランスを模索して孤独感を感じて、それがストレスにもなったり、QOLの低下を嘆いてみたりしていますが、自分の抱える悩みを共有してくれるような同盟を作ることで、この病気で空いた「穴」のようなものを埋めてくれるんじゃないかなというところです。
この同盟はいろんな人が加わっていればそれだけ強力になるなと。そして緩やかであってもつながっていることが日々のストレスの低下につながるなと思います。
救急精神病棟
野村 進

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少し自由な時間が空いた時、手持ちぶさたになるがそんな時間を上手にやり過ごすことが出来ないと感じた。
フラットで多少頭も体も動くという時に、時間が与えられると当惑する。ボーっとしていればいいのだがそれが苦手だ。だからといって「継続的に」 やっていることはないため(たいていうつ期に中断している)途方に暮れてしまう。
うつ期のように寝てればいいやとならない。で、こういう時は無理矢理何かやればいいかというと結構それでヘトヘトになったりすることを学んでいるので、結局家で「ゴロゴロ」ではなく「ウロウロ」することになる。
あまりに酷い時は混合の可能性もあるのでヒルナミンを飲む。今日の場合はマイナーで対応もいいかなと思ってワイパックスにしてみた。
気が付くと独りでにいろいろ考える時は軽躁or混合でメジャー、そうでない時はマイナーと、機械的に飲んでおくことにしよう。

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この病気に振り回されて以来、自分の「普通」の気分はいったいどんなんだろう?と考えていました。
そして最近思うようになったのが(自分探しならぬ)「普通」探しは止めようということです。探せば見つかるものではない類のものではないかと思うに至りました。
普通らしきものと付き合わせてこれだ!と認めていくのではなく、地道に「波」を退けていった結果得られる自分が「普通」なんじゃないかなと思うのです。
←積極的に探すのではなく、消極的に「普通」が残っていくと考えています。
そして、発症直前には、そもそもの立ち位置は軽躁を選んでいたのかも知れないですが、もう一度対人関係などでの立ち位置を(探すのではなく)「作っていけばいい」と思います。そのベースは軽躁でないもの、無理のないものということはそれぞれ十分に学んでいるはずです。

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「どこまでが病気論」であるが、そんなものはそもそも分からない。なぜなら「一定していないから」。
ある時期は正常が3割、ある時期は9割。そして各々の時期で自分というものを「捉えた」と思って得意になっていても、しばらくすると状態が変わるので自分の観察結果が否定された気分になり力が抜けることもある。もちろん病気と正常の2者択一でないことは間違いないのだが、何もかも病気のせいだと思うときさえある。
そして、最近思うのだが病歴が長ってくると、実は1)病気がさせている部分 2)正常な部分 に加えて 3)病気のせいにしている部分 と3)が割り込んできたようで仕方がない。
わたしは「どこまで論」を詰めてその峻別にエネルギーを注ぐつもりはない。しかし、自分の中で時々大きくなったり小さくなったりする「正常」を大事にしたい。そして3)の病気のせいにしていることに対して目を逸らさないようにしたいと思う。

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うつとは「気の持ちようじゃない」と人には言っているが、そういう自分が一番「気の持ちよう」で、何とかなると思っていたんだろうなと考え始めた。
最近は「寝ること」「休養」が回復の「おくすり」だと理解するようになったが、どうも人には「理解されていない」のではないかと私の方で勝手に思っているフシがある。
別に開き直りではないが、上手い具合に意識改革したいものだ。

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私が意識する強迫思考(2)とはどうもこのようなものである。
まず、
1 (うつ期に)思うようなインプットができない。
2 こんなはずはない、これではいけない(悲観視)。
3 じゃあこれこれだけは課題としてやることにしよう(100%に近いものを設定)。
4 その「課題設定」が過大であることが多かったのではないか。
そして、うつの時にこの「客観的に無茶な課題設定」の実行を試みて自分を疲れさせていた気がします。
強迫思考(3)としては
何か思いついて頭の中をぐるぐると覆うと、それが「やらねばならないことである=やりたいことだから」と思いこみ、それによって束縛されていたんだと思う。
今までのパターンで言うと、概ね短い期間で熱が冷めるように引いていくのだ。

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今回の軽躁騒ぎでは、本当に心地良い感じがしました。QOLの低下を嘆いていた頃の自分と思えないほど、やりたいことが出てきて、それにどんどん手を染めた(それが症状ですが)のです。
軽躁の恐ろしさは、自分は他と違って特別であると信じていること。根拠無く成功すると考えていることです。
今回は結局、如何に普段の自分の「日常の楽しみ方」が豊かでないかということを思い知った訳です。QOL低下を考えているときにいろいろ模索したのですが、案外普段の生活から離れてスキッとすることはないのかな?と思ったりします。
短編小説を読んだりして負担無く楽しむというのも始めていますが、活字は根を詰めるのでやはり疲れますね。
「上手に日々を生きること」。これがなかなか難しい!

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昨年秋から暮れにかけて、自分が持つ「強迫思考」というものを強く意識するようになった。どちらかというと躁病相期に出るようだ。そして、これは病前性格のようなものだろうかと少年期からの自分というものを振り返ってみた。
その結果、なるほどかなり自分に根付いた思考でありその結果としての行動形態をとっていたことを発見した。
そもそもこの「強迫思考」というのは、自分の楽しみなり何かを学ぶことや得ることといった活動に対して、なぜか「高いハードル」を自分に課すのである。その結果、自分の能力に応じて自由に程々に楽しんで活動することがなかった。
それが良い方向で結果を残せたことは否定できないが、思考・行動パターンが柔軟性を欠き、今にいたっているのも事実である。子どもの頃からのクセである以上容易に殻を破ることができないなと思い至った。
この病気との関連性はよく分からないが、発症をきっかけにして見つけた内面の特徴である。何かの因縁と思い、今年この問題に取り組んでみようと思う。
→記事を新たに立てました。

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昨年末、とある文章に「一年の計を立てましょう」とあり、少し心動かされるところがあって自分なりに考えてみた。→けれん味ブログ「抱負らしきもの」
年末年始に「課題と目標」として、自分自身のことを振り返り少し真剣に考えた。そして10項目ぐらい出したのだが、共通する原則はシンプルである。
◆課題  1.病気と距離を置くこと   2.仕事と生活とのバランスを確立すること  3.「強迫」から自由になって本当にしたいことをすること  4.節度をもってネットに接すること
◆目標  1.定番料理を覚えること  2.月2冊程度は単行本を読むこと   3.家族と向き合うこと etc
ハードルは低いが設定したことに意味があると思っている。 そして上記に掲げた課題・目標の達成のために少しこのサイト運営とも距離を置くことにしたいと思っている。
気分の変動により何かを発散したいときはつぶやきブログで書き散らすこととし、サイトをいじくったり、あれこれと症状や対処法のことで思い悩むことは止めようと思う。
以上ここに宣言します。

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今週は落ちついたというかフラット気味で過ごせている。抗うつ剤による不安定を過ぎ、なにやらそこそこの水準をうろついていると言うところだろうか。
今までの経験上このパターン(フラットな感じ)を素直に喜べない。それは「病識を失う」というか、何とも言えず「変な感覚」なのである。そこそこの量の薬を飲んでいて病気のいわば「一形態」なのかもしれないのだ。
そしてそれはあまりにも疑似病前状態であるため、つい普通人と同様に生活をこなしてしまう。学習しているので無理はしない。しかし「病人レベル」以上の動きはしてしまうのだ。
これを考えすぎと見る向きもあるかも知れないが、何度も反動を経験している。また、何かの拍子に軽躁へ向かうという微妙な体調でもあると認識している。
素直に喜べない普通(フラット)な体調。嗚呼、めんどくさい!

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