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Archive for the '備忘録' Category

少し自由な時間が空いた時、手持ちぶさたになるがそんな時間を上手にやり過ごすことが出来ないと感じた。
フラットで多少頭も体も動くという時に、時間が与えられると当惑する。ボーっとしていればいいのだがそれが苦手だ。だからといって「継続的に」 やっていることはないため(たいていうつ期に中断している)途方に暮れてしまう。
うつ期のように寝てればいいやとならない。で、こういう時は無理矢理何かやればいいかというと結構それでヘトヘトになったりすることを学んでいるので、結局家で「ゴロゴロ」ではなく「ウロウロ」することになる。
あまりに酷い時は混合の可能性もあるのでヒルナミンを飲む。今日の場合はマイナーで対応もいいかなと思ってワイパックスにしてみた。
気が付くと独りでにいろいろ考える時は軽躁or混合でメジャー、そうでない時はマイナーと、機械的に飲んでおくことにしよう。

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この病気に振り回されて以来、自分の「普通」の気分はいったいどんなんだろう?と考えていました。
そして最近思うようになったのが(自分探しならぬ)「普通」探しは止めようということです。探せば見つかるものではない類のものではないかと思うに至りました。
普通らしきものと付き合わせてこれだ!と認めていくのではなく、地道に「波」を退けていった結果得られる自分が「普通」なんじゃないかなと思うのです。
←積極的に探すのではなく、消極的に「普通」が残っていくと考えています。
そして、発症直前には、そもそもの立ち位置は軽躁を選んでいたのかも知れないですが、もう一度対人関係などでの立ち位置を(探すのではなく)「作っていけばいい」と思います。そのベースは軽躁でないもの、無理のないものということはそれぞれ十分に学んでいるはずです。

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「どこまでが病気論」であるが、そんなものはそもそも分からない。なぜなら「一定していないから」。
ある時期は正常が3割、ある時期は9割。そして各々の時期で自分というものを「捉えた」と思って得意になっていても、しばらくすると状態が変わるので自分の観察結果が否定された気分になり力が抜けることもある。もちろん病気と正常の2者択一でないことは間違いないのだが、何もかも病気のせいだと思うときさえある。
そして、最近思うのだが病歴が長ってくると、実は1)病気がさせている部分 2)正常な部分 に加えて 3)病気のせいにしている部分 と3)が割り込んできたようで仕方がない。
わたしは「どこまで論」を詰めてその峻別にエネルギーを注ぐつもりはない。しかし、自分の中で時々大きくなったり小さくなったりする「正常」を大事にしたい。そして3)の病気のせいにしていることに対して目を逸らさないようにしたいと思う。

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私が意識する強迫思考(2)とはどうもこのようなものである。
まず、
1 (うつ期に)思うようなインプットができない。
2 こんなはずはない、これではいけない(悲観視)。
3 じゃあこれこれだけは課題としてやることにしよう(100%に近いものを設定)。
4 その「課題設定」が過大であることが多かったのではないか。
そして、うつの時にこの「客観的に無茶な課題設定」の実行を試みて自分を疲れさせていた気がします。
強迫思考(3)としては
何か思いついて頭の中をぐるぐると覆うと、それが「やらねばならないことである=やりたいことだから」と思いこみ、それによって束縛されていたんだと思う。
今までのパターンで言うと、概ね短い期間で熱が冷めるように引いていくのだ。

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昨年秋から暮れにかけて、自分が持つ「強迫思考」というものを強く意識するようになった。どちらかというと躁病相期に出るようだ。そして、これは病前性格のようなものだろうかと少年期からの自分というものを振り返ってみた。
その結果、なるほどかなり自分に根付いた思考でありその結果としての行動形態をとっていたことを発見した。
そもそもこの「強迫思考」というのは、自分の楽しみなり何かを学ぶことや得ることといった活動に対して、なぜか「高いハードル」を自分に課すのである。その結果、自分の能力に応じて自由に程々に楽しんで活動することがなかった。
それが良い方向で結果を残せたことは否定できないが、思考・行動パターンが柔軟性を欠き、今にいたっているのも事実である。子どもの頃からのクセである以上容易に殻を破ることができないなと思い至った。
この病気との関連性はよく分からないが、発症をきっかけにして見つけた内面の特徴である。何かの因縁と思い、今年この問題に取り組んでみようと思う。
→記事を新たに立てました。

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昨年末、とある文章に「一年の計を立てましょう」とあり、少し心動かされるところがあって自分なりに考えてみた。→けれん味ブログ「抱負らしきもの」
年末年始に「課題と目標」として、自分自身のことを振り返り少し真剣に考えた。そして10項目ぐらい出したのだが、共通する原則はシンプルである。
◆課題  1.病気と距離を置くこと   2.仕事と生活とのバランスを確立すること  3.「強迫」から自由になって本当にしたいことをすること  4.節度をもってネットに接すること
◆目標  1.定番料理を覚えること  2.月2冊程度は単行本を読むこと   3.家族と向き合うこと etc
ハードルは低いが設定したことに意味があると思っている。 そして上記に掲げた課題・目標の達成のために少しこのサイト運営とも距離を置くことにしたいと思っている。
気分の変動により何かを発散したいときはつぶやきブログで書き散らすこととし、サイトをいじくったり、あれこれと症状や対処法のことで思い悩むことは止めようと思う。
以上ここに宣言します。

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今週は落ちついたというかフラット気味で過ごせている。抗うつ剤による不安定を過ぎ、なにやらそこそこの水準をうろついていると言うところだろうか。
今までの経験上このパターン(フラットな感じ)を素直に喜べない。それは「病識を失う」というか、何とも言えず「変な感覚」なのである。そこそこの量の薬を飲んでいて病気のいわば「一形態」なのかもしれないのだ。
そしてそれはあまりにも疑似病前状態であるため、つい普通人と同様に生活をこなしてしまう。学習しているので無理はしない。しかし「病人レベル」以上の動きはしてしまうのだ。
これを考えすぎと見る向きもあるかも知れないが、何度も反動を経験している。また、何かの拍子に軽躁へ向かうという微妙な体調でもあると認識している。
素直に喜べない普通(フラット)な体調。嗚呼、めんどくさい!

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今年7/11に1年ぶりに抗うつ剤を飲んだ。その時はほどよく浮上してしばらくは心地よく過ごすことが出来た。しかし、その後不安定な波がでてきて切った。そのため何となく不安定になるけど「手段」として残してはおけると思っていた。
長く続いていた軽うつに堪らなくなり、先月28日にルボックスを飲むことを求めた。もうこれ以上「軽うつ」が続くのを我慢できないと・・・。
しかしどういうわけか2日も経たずに「不安定」になった。うつの浮上を喜ぶような「状態」ではないことを体感した。そして私は前回の抗うつ剤服薬の際の「動揺」(薬で支える気分への戸惑い)とはまた違う「発見」をした。
◇ 私の病態はうつが長く(軽うつベース)、長いために生活する中で気づかなくなってしまう時があるということ。→元からこういう自分だったのかなと思ったりするぐらい(病気・症状であることを忘れる)
◇ 上がるときは早く、下がるときはゆっくりという曲線を描いているらしいこと。だから、軽うつに入ったことも気付きにくい。
◇ 下がってからフラットへは耐え難い(おそらく辛抱の限界の先に反転するぐらい)時間を要すること。
◇ プラシーボ効果かも知れないが、抗うつ剤に対する反応が高い。したがって、上にある辛抱を続けてうつを脱するのを待たないと薬によって不安定を誘発し、結果として躁うつの波を起こして全体としての治療をリセットさせてしまうという繰り返しになってしまうこと。
◇ 未だにRC、双極性うつを積極的にねらいを定めて治療を行うにいたっていないもどかしさがある。→明確な発症(軽躁エピソード)からの経過で明確に戦略を定めかねている状況にあること。
主治医と以上のことを話すだけの時間がない(笑)。ゆっくりと診察を受ける中で自分なりに整理をしていこうと思っている。

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うすうす気づいていたが、どうも私にはタイトルのようなパターンがあるようだ。どうでもいいところをつかまえて自分の考えでもって大げさに料理しようとするところがある。
その判断は誰かに相談することはもちろん希なことで、たいてい一人で下している。いったん自分が下した筋道はどうしても通さないと気が済まない。その時はたいてい軽躁と言っていいぐらいに頭の中は忙しい。
一般化するのは危険であるが、どうもこの病気に付随する傾向である気がしてならない。「一人で判断」は人の言うことを聞かないという躁の典型パターンだし、「自分の理屈に~」は自己肯定感・万能感に通ずるものがある。
逆に言えばこれを逆手にとって生きていくというのも一つの手ではないかと思い始めた。本来歳を取り、職業生活が長くなるほど判断力が増し、一人で判断する場面が増えるはずだが、特性をわきまえて出来るだけ世間一般の方とは異なる行動(一人で判断すべきところでも人の意見を採用する)を取ってみればどうかと思ったのである。そして自分の理屈なり、「こうあるべき」は頭から放り出すことを実行してみることだろうか。

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「仕事との折り合い」をしばらく悩んでいた。上がったり下がったりする度に休んでしまう。外部との約束を飛ばしたり、周りに心配をかけたりということである。それが4月来何度もあったのである。
今日、とあるところに聞いてみた。単に気持ちを吐き出しただけかも知れないが、随分と気分が落ちついた。
上がったり下がったりして休むことに対して、あれこれ考えること自体がストレスになる→また気分の波を招くとのこと。
それよりも、「休んでも誰かがやってくれる」「しょうがない」などと考えて、波が襲ってくることに対して「当然」来るものと認識すれば、いちいち「仕事との折り合い」なんて考える必要はないのである(私が自ら言っていた)。
当然休むであろう前提で仕事に取り組む。はたらくbipolarとしてこんな単純なことを見落としていたとは恥ずかしい限りだ。
それにしても、はたらくbipolarの姿(ing形)は少ないようだ。みな退職して、過去形で語っているとのことだった。

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