躁うつ病者と「普通」
4月 24th, 2008 by keren
この病気に振り回されて以来、自分の「普通」の気分はいったいどんなんだろう?と考えていました。
そして最近思うようになったのが(自分探しならぬ)「普通」探しは止めようということです。探せば見つかるものではない類のものではないかと思うに至りました。
普通らしきものと付き合わせてこれだ!と認めていくのではなく、地道に「波」を退けていった結果得られる自分が「普通」なんじゃないかなと思うのです。
←積極的に探すのではなく、消極的に「普通」が残っていくと考えています。
そして、発症直前には、そもそもの立ち位置は軽躁を選んでいたのかも知れないですが、もう一度対人関係などでの立ち位置を(探すのではなく)「作っていけばいい」と思います。そのベースは軽躁でないもの、無理のないものということはそれぞれ十分に学んでいるはずです。
けれんさん、こんにちは。
>地道に「波」を退けていった結果得られる自分が「普通」なんじゃないかなと思うのです。
すごくわかりやすく書かれていて、私も「普通」について再確認しました。
私は最近、ある精神科医の方が書かれた本(双極性障害について取り上げたものではないのですが)を読んだのですが、こんな事が書かれてたのですね。
「『あるべき自己』というものを考える時、大抵、自分の原型のようなものを中心に、その外側に粘土や石膏をくっつけてある像を目指して作っていく。足りない部分はくっつけて補う。『こうあるべきだ』『こうでなくてはならない』という自分の理想像を目指して足し算していくイメージを浮かべる。
でも私が考える自己形成のイメージというのは逆で、余分なものがくっついてしまったものを彫刻のように彫り、中心の核の部分(本当の自分)だけを削り出し、輝く宝石のように研磨していく引き算のイメージだ」
というような事で、私は印象深く思ったのですが、けれんさんが書いておられた
>(自分探しならぬ)「普通」探しは止めよう
という言葉がこれとつながってきました。「ああ、そうか」と。
つい、あれこれ思いめぐらせて意識して何とかしようと行動を起こしがちですが、何もしない(探さない)事というのもひとつの手段であり、双極性障害の患者は特に思い切ってこの手段を選択すると楽になれる事もあるのかもしれませんね。
長文になってしまいました…。失礼しました。
pnaさん、こんばんは。
コメントありがとうございます。気に入って頂けましたでしょうか。
>自分の原型のようなものを中心に、その外側に粘土や石膏をくっつけてある像を目指して作っていく。
>自分の理想像を目指して足し算していくイメージを浮かべる。
これは至難の業ですね(笑)。おそらく「自己実現」を達成していく手順にも感じました。確かに惹かれるし、世の中多くの場合この手順が上手く働くと思われます。
ただ、双極性障害は気分変動(とそれに伴う思考・行動)が「動的」であり一般論が前提とする「静的」な自己に対して何かを積み上げるという枠組みで考えるのは根本からして違うように感じるのです。
動的なものが都合悪い(社会適合していく上で)のであれば出来るだけ静的なものにしていくことが先決なのかなと思います。それがこのエントリーの普通論につながるんですが。なんともめんどくさいですね。
こちらからすみません。
こんにちは。飄々(ひょうひょう)です。
おかげさまで先日320,000アクセス(2005.6~)に到達いたしました。
大変ありがとうございます。
このたび夫婦共同サイトとするため、サイトを統合し、アドレスを変更しました。
ご多忙中誠に縮ですが、URLの変更をお願いいたします。
これからもどうかよろしくお願い申し上げます。
1 新サイト名
双極性障害「躁うつ病」を理解しよう(へこたれちゃん躁うつ脱出計画)
2 新アドレス
http://hyousu.net/
3 管理人
飄々(ひょうひょう)&すーちゃん
4 サイト紹介
飄々(ひょうひょう)&すーちゃんのサイトです。双極性障害「躁うつ病」の概要、心の病と職場復帰、通院記録、日々の躁うつ度の本人評価と観察記(妻評価)、すーちゃんの独り言と作品展、心の悩み相談室&なんでも掲示板など。
了解です
長いこと そううつで 悩まされてきました・・・
リーマスは 切らすことなく飲んでます。
最近 精神療法のいい女医さんと出会い救われてます。
まだ、心がおちつかない時もあるけど 無理をせずに生活
しています。
ひろさん、お返事が送れてすみません。
救われたという感覚を得られてよかったですね。
「無理なく」というのがなかなか上手に出来ない方が(私がそうなのですが)
多いのでこの基本を大事にしたいと思っています。
養生して下さい。