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Archive for 3月, 2008

「どこまでが病気論」であるが、そんなものはそもそも分からない。なぜなら「一定していないから」。
ある時期は正常が3割、ある時期は9割。そして各々の時期で自分というものを「捉えた」と思って得意になっていても、しばらくすると状態が変わるので自分の観察結果が否定された気分になり力が抜けることもある。もちろん病気と正常の2者択一でないことは間違いないのだが、何もかも病気のせいだと思うときさえある。
そして、最近思うのだが病歴が長ってくると、実は1)病気がさせている部分 2)正常な部分 に加えて 3)病気のせいにしている部分 と3)が割り込んできたようで仕方がない。
わたしは「どこまで論」を詰めてその峻別にエネルギーを注ぐつもりはない。しかし、自分の中で時々大きくなったり小さくなったりする「正常」を大事にしたい。そして3)の病気のせいにしていることに対して目を逸らさないようにしたいと思う。

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うつとは「気の持ちようじゃない」と人には言っているが、そういう自分が一番「気の持ちよう」で、何とかなると思っていたんだろうなと考え始めた。
最近は「寝ること」「休養」が回復の「おくすり」だと理解するようになったが、どうも人には「理解されていない」のではないかと私の方で勝手に思っているフシがある。
別に開き直りではないが、上手い具合に意識改革したいものだ。

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私が意識する強迫思考(2)とはどうもこのようなものである。
まず、
1 (うつ期に)思うようなインプットができない。
2 こんなはずはない、これではいけない(悲観視)。
3 じゃあこれこれだけは課題としてやることにしよう(100%に近いものを設定)。
4 その「課題設定」が過大であることが多かったのではないか。
そして、うつの時にこの「客観的に無茶な課題設定」の実行を試みて自分を疲れさせていた気がします。
強迫思考(3)としては
何か思いついて頭の中をぐるぐると覆うと、それが「やらねばならないことである=やりたいことだから」と思いこみ、それによって束縛されていたんだと思う。
今までのパターンで言うと、概ね短い期間で熱が冷めるように引いていくのだ。

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今回の軽躁騒ぎでは、本当に心地良い感じがしました。QOLの低下を嘆いていた頃の自分と思えないほど、やりたいことが出てきて、それにどんどん手を染めた(それが症状ですが)のです。
軽躁の恐ろしさは、自分は他と違って特別であると信じていること。根拠無く成功すると考えていることです。
今回は結局、如何に普段の自分の「日常の楽しみ方」が豊かでないかということを思い知った訳です。QOL低下を考えているときにいろいろ模索したのですが、案外普段の生活から離れてスキッとすることはないのかな?と思ったりします。
短編小説を読んだりして負担無く楽しむというのも始めていますが、活字は根を詰めるのでやはり疲れますね。
「上手に日々を生きること」。これがなかなか難しい!

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